子供
がやがやと病院にしては珍しく少し騒がしい。リボーンはどこにでもありそうなプラスチックの長いすに、頭からつま先までびしょ濡れになったままぼんやりと座っていた。目の前を大勢の人たちが慌ただしく行き来している。
頭に木霊するのはざああああという雨の騒音、悲鳴。笑顔、
最後に何を言おうとしたのか。俺が居たから。俺があいつを、殺したようなもんだ。…助けたつもりになっていたのか、ああ本当に馬鹿みてーだ。涙すらでてこねぇ、馬鹿すぎる。こんな終わりは想像だにしていなかった。…誰が想像できたのか。ランボ、お前は、どういうつもりで?
泣けたらいい、泣いてしまえばこのもやもやも晴れる気がした。…俺は昨日、どうやって泣いた?もう思い出せない、どうすればいいかも分からない。こんな感情が自分の中にあったことすら、信じられない。何も考えたくない、何も、もう何も考えたくないのだ。そう思ってもどうしようもない絶望が脳髄を支配する。ギュと思い切り肌に爪を立てる、あっというまに血が滲んできた。気持ちが悪い、もう何も考えたくない。分からない事だらけだ。
「………ランボ」
口に出せば何か分かるかと思ったが、絶望が濃くなるだけで。届く訳が無い言葉は空しく大勢の足音に掻き消された。別の階の集中治療室の前に居る事すらかなわねぇ。…ああもう、殺してやりたい。自分自身を。
背にした壁を強く殴った。ドンという騒音も直ぐに消えていく、あとには右手に残った痛みだけ。なんの生産性も無い、壁を殴ったところでランボが助かるのか?あそこから落ちて命があっただけでも奇跡なのだ。もちろん、奇跡を願ったのは俺だ。神に祈ったのも。でもこんなことに大してではない、助かりたかったから。…こんな奇跡を、誰が願った?(助かったのは良かったけれど)自分自身が鬱陶しくて仕様が無い。どうすればいいのだ?俺はよけいな事をしただけ。
「不景気な面してんなあ小僧」
煙草のにおいがする。濡れ鼠のリボーンの直ぐ隣に、山本が座った。
「やっぱ大丈夫じゃなかっただろ」
「………うるせぇ」
「んな不景気な面してっと治るもんも治らねーぞ?」
山本はにっと笑って煙草を一本リボーンに渡した。咥えた煙草にジッポで火をつける。
「何でランボが治療受けてっか聞きてーか?」
「…………」
本来なら、そのままほおっておいたってなんら問題は無い。治療した後で殺す何ざ、間抜けだ。……結局俺は、何をしてたんだ?ああ馬鹿だ、もう何も考えたくない。思い切りニコチンを体内に取り込む。
「ツナが頭下げたんだぜ、ボヴィーノのボスに」
「…………ツナが?」
「そ、お前とランボを見逃してやって下さいってな」
「…………」
それを聞いて体中の力が一気に地面に吸い取られた。…奇跡は、起こっていたのだ。どこまでも、俺が間抜けだっただけ。俺が、居たから。俺さえ居なければランボはあんな事しなかった。無事に保護されていたのだろう、俺さえ居なければ。それに、俺は無事にランボを助ける事さえできなかった、ツナの顔に泥を塗っただけ。あまりの情けなさに泣きたくなってきた。それでも、涙は一滴もでてきやしない。奇跡は起こされていた。俺さえ居なければ、俺さえ居なければ。その言葉がぐるぐると頭を回る。
…俺さえ居なければ、ランボは助かっていたのに。…俺が馬鹿なことを考えたから。もし、今俺が死んでランボが助かるなら、懐にしまった銃で眉間を迷うことなく打ち抜くのに。もう奇跡を期待する事すら出来ねぇ。
もう俺には何もできない。俺は無力だ。俺さえ居なければ。死よりも、恐ろしいことがあるとは思っていなかった。
「小僧が何考えてっか当ててやろーか」
「…………」
「"俺さえ居なければ"」
「違げぇ」
「…否定すんなって」
チリと指先に痛みが走った。煙草がギリギリまで燃え尽きている。舌打ちをして横にあった灰皿に投げ込んだ。山本が少し笑っている。
「お前がランボを連れて逃げなきゃどうなってたか分かんねーぜ?」
「……どういうことだ」
「まあもしかしたらお前がした行動が一番良かったかもしんねーしな」
「気休めだろ」
「もしかしたら、あのままランボは病室で殺されてたかもしんねーし」
独特の平和に間延びした声が響く。実際平和なんてのは遠くから傍観しているのだが。そんなも、馬鹿みたいだ。今も集中治療室で生死の境をさ迷っているであろうランボが頭によぎる。とたんに頭を抱え込みたくなるような感情の洪水が脳を直撃した。
「ま、お前にとっては一番いい選択だっただろうけどな」
「…………慰めならいらねぇ」
「俺は人を慰めたりはしねーぜ?」
にやっと笑う。どうしてこの男は今笑えるのか。どんな状況でも笑っているこの男は、俺ですら理解を超えているときがある。俺にとっての一番良い選択?そんなもの、慰めに過ぎない。現に状況は何よりも最悪なのだ。
「小僧とは長い付き合いだけどな、お前がここまで人間らしい表情してんの始めて見たな」
「…………」
「人形みてーな面してただろ、今の方が男前に磨きかかってんぜ?」
「…………」
何本目かの煙草を燻らせている山本を横目で見た。まったく読めない表情は、いつもすこし笑っている。視線に気付いたのか、すこし横を向いた。精悍な顔、研ぎ澄まされた鋭い視線が目の奥でまたわらった。
「ま、そう構えんなって。ランボは助かんだろ」
「………気楽だな」
「取り柄だからな」
右手に煙草を持ったまま口で手を押さえて声を出して笑った。…何がそんなに可笑しいのか分からない、というようにリボーンが不快をそのまま顔に表した。そしてまた置き去りにされた迷子のような顔に戻って目を伏せた。
ランボが助かる、もしあいつが助かったら。元通りになったら。俺はどうしようか、どうするべきか。…分からない。そもそも俺はどうしてランボを助けた?俺があんな行動を起こさなければ、ランボは飛び降りる事なんか無かったのだ。自分で命を捨てる事などなかったのだ。またループする、同じ疑問。
ずっと前から停滞していた答えの出ない疑問。どうして俺はあいつを助けたのか?もう何も考えたくないのだ。俺が今ここで死んで、ランボが助かるのなら(ああまただループ、馬鹿げてる)。
下を向いたまま黙り込んだリボーンを山本が横目で見ていた。ふぅと溜息混じりに紫煙を吐き出す。頭上で暫く漂った後、その紫煙も霧散した。
「………何でお前はランボを助けたんだ?」
知らないから尋ねる、と言うよりはもとから返事を期待していない呟きのように聞こえた。答えが分かっている、と言う風に。リボーンは返事を返さない。また下を向いた。山本がふっと仕様が無いなと笑う。そして大人が小さな子供にやるように、手を伸ばしてまだ濡れているリボーンの真っ黒な髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。
「だーいじょうぶだって、ランボは助かる」
「子供扱いしてんじゃねーよ」
まだ俺にとっちゃ子供なんだけどなー、山本が何本目かの煙草を灰皿に投げ込む。ふと見ると、遠くで沢田が獄寺と歩いていた。こちらに気付いたようだ、近づいてくる。
「こんな所にいたの山本」
「ん、まー野暮用で」
「……リボーン、久しぶり」
沢田がリボーンを見た。リボーンも顔を上げて視線を合わせる、奇妙な顔を作った。と、同時に。
バシンッと乾いた音が鳴る。
獄寺少し驚いた顔を作った。ひゅぅ、と山本が口笛を吹いた。沢田が振り上げた平手を下ろす。リボーンの頬に徐々に赤い跡が浮かびあがってきた。顔を殴られた方向に背けたまま固まっている。
「…何で殴られたかちゃんと考えなよね」
信じられないくらい冷たい声で沢田がリボーンを上から見下ろした。行くよ、という風に山本に視線を送る。山本が無言で立ち上がった。リボーンは動かない。
三人分の足音は、あっという間に他の音にまぎれてしまった。じんじん、と(思いっきり叩きやがったな)頬が痛む。それでも叩かれた時に、全ての感情が吹き飛んだ気がした。全てというよりは。堅く目を閉じて、ごつんと背後の壁に頭を軽くぶつけた。控えめに騒がしい廊下。………ランボのわらった顔。
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