「…あった」


沢田が口を開いた。外は明け方から雨が降っている。


「……獄寺くん、車回して!」
「はい、十代目」
沢田が立ち上がって、コートを取った。机に乱暴に置かれている書類には、綺麗な女性の顔写真。
























雨が地面を叩く音がする。窓ガラスには水が瀧のように流れていた。もう、昼間なのに太陽が昇っていないような(実際は厚い雲の上で悠々と輝いているのだろう)薄暗い、ドブ色の外。小さな机には、手の付けられていないひとつの料理と半分だけ食べた料理。無造作にフォークが投げ出されている。小さな部屋には、体つきも顔つきも完璧な大人二人が、まるで見捨てられた迷子のような顔で座っていた。
ストーブの前で、リボーンはランボの手を握ったまま(どこにも行かぬように)おそらく今日であろう、最後の日を待っていた。
…今日、ボンゴレの誰かが俺らを迎えに来るだろう。ランボの目に光は無く、伏せた目は投げ出された足を見ていた。もう何も考えたくねぇ、と思えば思うほどに思考が脳の隅まで行き渡る。どうする、どうする、とひたすらに疑問符を投げかけていく。まったく動こうとしない体とは裏腹に、濃い焦燥感が内側から身を焼く。どうせ、捕まって殺されるだけだ。俺だけ助かる手立てなら、幾らでも(いや、そんなにねーな)あるんだろう。それでも、もうそんな事すら面倒臭いのだが、こいつと一緒に死のうと思う。
もし、何か奇跡が起きて俺とこいつが助かるのなら。…今度は、どうしようか。とはいえ、そんな奇跡が起こるわけが無い。オメルタ破りの重罪人と匿った重罪人二人に、そんな慈悲深いことが起こるわけない。
今日か、明日か。はたまた明後日か?命日は刻々と、迫っている。恐怖を感じているのだろうか?ただ、もし恐怖を感じているのなら、自分が死ぬことではないはずだ。


「ランボ」
「………何」
ランボも今日が終わりの日だという事を知っているのだろうか?


「……………何でもねー」
「…………」


ランボの伏せた目が、動いて窓の外を見た。同じように目を動かして、リボーンも窓を見た。洪水のように雨が打ち付けている。終わりの日には最適な天気だな。皮肉気に哂う。ランボが唇を咬んだ。
どういう風に殺されるのだろう。今日、明日起こるであろう事に想像を巡らす。ボンゴレの情報を吐いていないのなら、ボヴィーノに殺されるのか?俺は…ボンゴレに?拳銃を口に突っ込まれて頭半分吹き飛ばされる(それはこの間までの俺がやってたことだ)。最後の願いとして、聞き入れてもらえるなら、ランボだけは苦しまずに殺してやってほしい。…まあ、裏切り者の願い事が叶うかなんざ、たかが知れてる。


「リボーン」
「………何だ?」


おもむろにランボが口を開いた。目は窓を向いたままだ。


「俺たちは殺されるんだよね」
「…………」
「ねぇ、あんたも殺されるんでしょ?」
「…………」
「当たり前だよね、俺みたいなの庇ってくれたんだから」


沈黙を肯定と取ったらしい、ランボがふんふんと納得したように顔を上下に揺らす。ゆっくりと喋った。


「最後なんだから、お礼言っとくよ」
「…………」
「ありがとうね、俺を助けてくれて」
「………助けてねーだろ」


最後、なんて言葉を口にするな。そういいかけて口を噤む。俺が、口に出して最後だと言えば、一ミクロンだけの希望さえ失われてしまいそうだったから。


「結局、お前は、」
「……殺されるんだけどね。でも、たった数日でも俺の寿命を延ばしてくれた」
「…………お前は、死にたくねーのか?」


考え込むようではなく、ランボは目を閉じた。白い眼帯と、白い包帯。白いシャツ。白い肌。今にも消えてしまいそうだ。リボーンは、ランボに向かって手を伸ばそうとして、止めた。ランボが目を開ける。ふっと微笑んだ。


「俺は死んで当然さ。…でもね、」
「でも、なんだ?」
「……リボーンが俺と一緒に死ぬのはやっぱり嫌だよ」
「…………矛盾だな」


ふと可笑しくなって、わらう。今までこいつは、何度俺を殺しに来た事だろう?死ねリボーン、死ねリボーン。その言葉を何度聞いただろう?それが今、俺が死ぬのは嫌だと来てる。まったくの矛盾、まったくの皮肉だ。


「なんで笑ってるの」
「さーな」
「………………」


ひとしきり、笑った後。あたたかな光(といっても単なるストーブの火だ)を見た。とたんに、なにやら訳の分からない感情とともに、ひとつの結論が浮かび上がった。"ああ、俺は死ぬのか"。それを細胞が体の隅々まで、伝える。耳を澄ませば、"死"という結論が血液を駆け巡って行く音が聞こえるようだ。体の力が抜けていく。あらがえない絶対的な死の力には。ぐわんぐわん、脳を物凄い力で揺さぶられるような感覚がした。
………しにたくない?
脳裏にハッキリと浮かんできた言葉に愕然とする。この期に及んで、何考えてんだ?馬鹿みてぇ、そうあざ笑おうとする。それでも、なお意志を持つように死にたく無い、という文字がチカチカと点滅する(まるで歓楽街の悪趣味なネオンのように)。これだけ人を殺しておいて、最後は、死にたくないだと?ランボの手を握り締めていた手から力が抜けた。


「人は誰しも一人で生き、一人で死ぬものである」


ランボが、ゆっくりと芝居がかった口調で暗唱した。にこり、と微笑む(何故だかやけに歪んで見えた)。考えを振り切るようにリボーンが口の端を吊り上げて哂った。


「………どっかで聞いたようなセリフだな」
「俺も、どこで聞いたかは忘れたんだけどね」


何かをふっきったようにランボが(おそらく何億光年も前)昔のように、微笑んだ。やれやれという声が聞こえてきそうな気さえした。どうして俺は死を恐れるのか。…恐れているのか?自分が何を考えているのかさえ分からない。ただ分かる事は、今日がおそらく生きているうちで最後の一日。ランボが隣に居る事。雨が降っている事。そこには希望が無いという事。
結局俺は死ぬまでに、誰一人として幸福にしていないのではないか。別に博愛主義という訳ではないし、誰かを幸せにしようと思ったことすらないのではないか。
どちらかというと自分は不幸、の象徴のような人間だった。…死を実感する。最後の審判、それは死を実感した時に訪れるのではないのか?悔い改めよ、神など信用しては居ない。信じては居ない。…なら、何故自分はこれほどまでに悔いている?


「…ねぇリボーン?」
「何だ」
「せっかく最後の日なんだからさ、その料理食べるよ。せっかくあんたが作ってくれたんだし。…温め直してくれるかな」


最後の日、それがやけにひっかかった。


「……ああ、分かった」


立ち上がって、ストーブのぬくもりから離れる。体はまったく手をつけていない皿を掴み、台所へ持っていく。その間、精神はずっと頭上の方を旋回していて、どこか客観的に見ていた。死という悪趣味なネオンが何度も点滅を繰り返す。目がチカチカするような奇妙な感覚を覚えた。その間も、時計は一秒、一分と刻んでいく。じりじりと、じりじりと。這うが如く、死は時という形を持って迫り来る。………。
ランボと一緒に死ぬんだろう?何を今更諦めの悪い事を、俺はこんな男だったか?未練がましい。…それよりも、何故ランボと一緒に死ぬのだ?別に女の上で腹上死してーって訳じゃねぇが。馬鹿みたいだ、いくら何を考えても結果は変わらない。変わろうとはしない。実際問題、ランボと死ぬしかないのだ。それを今更。まったくだ、なんて今更なんだろう?…なにかの奇跡が起こるなら、今起こって欲しい。どうせもう死ぬしかないのだ。生を諦めたとたんに襲ってくる生への執着。…みっともない、人間だ。もとより、俺は何人の人間を殺してきたていうんだ?もうこの手は取り返しが付かないくらいに真っ赤だ。霊が居るのなら、背中に何人背負っている事か。
何を考えている?馬鹿みてー。
人は誰しも一人で生き、一人で死ぬものである。先刻のランボの言葉がやけに生々しく蘇った。……誰の言葉だっただろう。やけに的を得ていると思ったのはいつだっただろう。


ざあああああ、と雨の音が急に大きくなった。凍りつくような風が少し遅れて室内に停滞した温度を攫っていく。頭上を浮遊していた精神が、体に戻ってきた。振り返る、ばたばたとカーテンが騒いでいた。大量の雨が吹き込んで一気に床をぬらす。














………大きく開け放たれた窓にの淵に、ランボが座っていた。ふわふわの髪の毛は雨に濡れ、白い肌に張り付いている。リボーンが驚いたようにランボの前に立った。


「リボーン」
雨に掻き消されそうな声で喋る。


「……俺が死ねばあんたは助かるんだよね」
「ランボ」
「分かってたよ?」


ランボがふっと微笑んだ。リボーンが手を伸ばす。


「ありがとう、さよならだリボーン」


吹き込んだ雨が顔を叩いた。ランボの頬に触れた手が、力なく落ちる。リボーンは自分の頭が、死というネオンと生という光でぐちゃぐちゃになるのを感じ取った。…ランボの目には、リボーンには理解できない感情がありありと浮かんでいる。


「        」


愕然と、目を見開く。ランボが人を小ばかにしたような表情で哂っていた。左手だけで支えていた、体。…窓から、手を離した。
ゆっくりと、確実に。ランボが重力に逆らわず、後ろに回転する。窓から、最後に残った足がドブ色の背景の中に落ちていった。リボーンの脳裏には、ざああああという激しい雨の音。暫くして聞こえた甲高い悲鳴。がくん、とびしょ濡れの床に座り込んだ、容赦なく雨が体を叩く。
……死というネオンが点滅をやめた。ダンダン、と激しく戸を叩く音がする。










































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