真夜中は別人











「ああああああああぁぁぁあああぁぁぁぁああああああああああああああああぁぁああああああああああああああああああああああぁぁぁっぁぁぁああああああ…」


耳を劈く金切り声で飛び起きた。周りを見回す。闇に沈んだ室内はまだ時刻は深夜だと物語っていた。まだ悲鳴は途切れることなく続いている、リボーンは慌てて部屋の電気をつけた。…ベッドの上で寝ているはずの、悲鳴の発生源。ランボは半身を起こして、片方だけの眼を眼球が零れ落ちてしまうんじゃないかと心配してしまうくらい、眼を見開いて叫んでいた。
リボーンはまた、悲鳴を上げているランボの口に無理やり蓋をする。歯型が残っている手に、また新たな傷がいくつもついた。


「ああああ助けてボスああぁぁぁあああ、助けて助けて助けてええええぇぇぇえええあああああああああああああぁぁぁぁあ」
「おいランボッ正気に戻れ!」
「嫌だああああああああぁぁあああぁぁぁぁぁ助けて、嫌だあああああああぁぁぁああああああああ」


住居者が少ないと言っても、音が筒抜けの安アパートなのだ。…これ以上騒がれちゃあやべぇ。無理やり口の塞いでいるにも関わらず、少しくぐもった悲鳴がまだ続く。一向に終わる気配は無い。ランボのギリギリまで見開かれた眼からは、大粒の涙がボロボロと溢れていた。
刺激、しちゃあ拙いよな。クソッ俺にどうしろってんだ!派手に舌打ちをする。


「ああああああああああああああああああぁぁああああああぁぁぁあああああああああああぁぁぁあああ」
「……ランボッ」


耳元で、ランボの悲鳴と同じくらいの大きさの声を出した。…ピタリとランボの悲鳴が止まる。まだ大きく見開いたままの眼で、ぐるりと首を回してリボーンの顔を認識した。


「俺、俺、俺、」
「ここはそんな怖えーとこじゃねぇよ」


右腕をランボの首に回して、無抵抗のランボを自身の胸に押し付ける。ランボが乾いた笑い声を立てた。


「あ、あはははははは俺また幻みてるんだ、でもリボーンが出てくるなんて変わってるね全然嬉しくなんかないのに、あははははははははははあははははははははははははあはははははははまた幻覚みてるんだ俺、あははははははははははあはははあはははははははははははははははははははは…」


乾いた平坦な笑い声は止まらない。リボーンは苦しそうな顔で(言い換えれば、今にも泣き出しそうな顔で)更にきつくランボを胸に押し付けた。薄いシャツのから、冷たい涙の感触がする。 ランボはまったく無抵抗のまま、ただひたすら笑い続けていた。


「…ランボ」
「あはははははははあはははははははははははははあははははははははあはははははははあははははあははははははあははあはははははははあはははははははははあははあははははははははははあはははあははははははははははははははははははははあはははははははははは」
「ランボッ」
「なあに?あははははおれ、また明日になったらいたいことばっかりなのにあははははは…」
「幻覚じゃねぇよ、幻覚じゃ、ねぇ、から」
「あはははうそつきぃあはははははははじゃあおれはもう死んだんだああははははは…」


間延びした声で平坦にランボは笑い続ける。…リボーンの首に回していた手が、重力に逆らわずベッドの上におちてぽすん、と間抜けな音を立てた。
今日、飯をやったとき。大丈夫だと、思った。ああそこまでこいつは狂ってないんだなと、思えた。
おなじみだった、脳髄を這い上がってくるドス黒い感情よりももっと気持ちの悪い、感覚が脳を直接支配する。俺は、この感情の名前なら、知っているのだ。…あえて認めようとしないだけで。ああ、これは絶望だ。そもそも、俺がアホ牛に、ランボに希望を覚えることすらまったくのお門違いだったのだ。
眼をつぶれば、あれほど鬱陶しいと思っていたランボの片目を閉じた、人を小馬鹿にしたような顔が鮮明に浮かびあがってくる。もうあの表情は、こいつにはできない。包帯の下の眼窩は空っぽのまま。それでも、
あれほど鬱陶しかった"やれやれ"という声を、もう一度聞けると思ったのだ。 脳を支配する、絶望感の片隅で、正気を保った(それが正気かどうかも分からないが)自分が、自分に問いかけた。何故お前はランボをそこまで気にかけているのか?何故こいつをボンゴレに付き返さない?お前は何を期待している?


そもそもこいつは本当にオメルタを破ったのか?


はっと、その声で飛んでいた意識が戻ってきた。そう、俺は今までこいつがオメルタを破ったと思い込んでいたのだ。…もし、こいつがオメルタを破っていなかったら。違う誰かが、破っていたら。一縷の望みを、言葉に託す。どうか違うといってくれ。
未だに笑い続けているランボの両肩を掴み、その瞳を覗き込む。焦点の合わない眼は、リボーンを見ようとはしない。まったく別の空間を見ているようだ、…ぞくり、と背中に悪寒が走った。まるで、狂人の瞳を覗き込んだ時のようだ。首を強く振ってその考えを振り切る


「ランボ、お前はオメルタを破ったのか?」


この状態のランボにまともな答えを希望したわけでは無い。ただ、嘘でもいいから違うと答えて欲しかった。…そうすれば、まだ助かる道はいくらでも、あるはずだから。破った証拠が見つからない限り。ランボが違うと言えば、こいつを拷問なんざしやがった連中を全員殺しにいこう、そして、二人で、助かるのだ。


「あははははははあははははははあはははははあはははははあははははは…」
「おい、ランボ」
「あははは、幻のリボーンも嫌な奴だね、あははははは、そうだよ、あははははははは俺はオメルタを破ったんだあははははだから死んじゃったんだよあはは、リボーンもここにいるってことは、リボーンも死んだんだねぇあははははは ざ ま あ み ろ」


平坦だった声の調子に最後の一言だけ、ほんと少し感情が入っていた。
今度は、本格的に一縷の望みもゆるさないまま、脳が絶望で一色になった。…ざまあみろ。憎しみの篭ったあの声、ざまあみろ、ざまあみろ、その一言がぐるぐる、ぐるぐる脳に回転する。ああ、これが俺の罰だというのか。今までどれだけコイツを無視してきたのか、此れが報いだと言うのか。
………………………なら、それが何だって言うんだ?そうだ、それが、何だ?


ふいに、いつもの自分が眼を覚ました。
脳を支配していた絶望感を押しのけて、いつもの自分が覚醒する。そう、それが何だって言うんだ、それが。自分の胸に、もたれ掛かっているランボが急に鬱陶しく思えた。そう、それがいつもの自分。そして、いつもの俺は狂人なんざみてもまったく動揺しねぇ筈だ。それが当たり前。なぜなら俺は、今までで何人も己の手で狂人を作り出してきたはずだから。
ざまあみろ
まだ脳の底にへばり付いている言葉を、ぎゅっと堅く眼を瞑って追い払った。眼をゆっくりと開く、いつもの、冷静な己の視界。 未だにボロボロと泣きながらも笑い続けているランボをベッドに無理やり押し戻す。


「うるせーんだよ、いい加減にしろ」
「あはははざまあみろ、ざまあみろ、最強のあんたも死んだんだぁあははははははははははははははは…」
「アホか、死ね」
「あははははははははははリボーンもオメルタ破って死んだんだあぁ、あははははははははは…」


オメルタ、という言葉を発する時に、こいつの感情の無い瞬きをしない眼に少しの陰りが生じることにふと気が付く。
イラつく、ムカつく、ウザい、
いつもの感情が息を吹き返した。またぞわり、と這ってこようとするドス黒い感情を蹴散らす。そう、何故俺はアホ牛なんざ、匿ってるんだ?馬鹿げてる、イカれてる。 どうしてこいつがベッドで寝てる?ああウザったい。
ベッドに寝転んだまま、何が可笑しいのか未だに笑い続けるランボを、乱暴な手つきで床に落とす。ゴツン、と頭がフローリングに当たる凶暴な音がした。ああそうか、こいつは腕が無かったのか。今更のように思い出す。

今まで、こいつの世話をしていた自分がひどく滑稽に思えてきた。
まだ五分も立っていない前の自分がひどく未熟だ。



…これが、俺らしい、そう。これが、俺 らしい のだ。



こんどは抗いようのなさそうな、ドス黒い感情がまた背筋を這ってきた。その感情に支配されてしまう前に、寝てしまおうと思い、さっきまでランボが占領していたベッドに寝転がった。毛布を頭まで被る。………生あたたかい
信じられないくらいの感情の洪水が、頭を内側から叩いた。この感情の名前を俺は知らない。
…知りたくも無い。
吐き気をこらえて、堅く眼をつぶった。聞こえないフリをする。

ランボが床に不自然な体勢で寝転がったまま、平坦な笑い声を上げていた。










































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