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六月の終わりごろの、陰鬱な雨の日だった。日記を捲って、そのページで止める。
ざああああと降り注ぐ灰色の雫がやけに気持ちが悪かったのをよく覚えている。肌に直接纏わりついて、ずっしりと重い湿気。体を前に進めることすら億劫になるほどの気温。梅雨に、傘を忘れるなんてどうかしてるよ、俺。なんて思ってたっけ。



あーあ、と鈍い灰色の雲を仰ぎ見た。眼に容赦なく雫が入って、それも気持ちが悪い。全てが、もう気持ち悪い。
ダメだダメだ、ついマイナスになってしまう思考を首をふることで振り切ろうとする。今日は、厄日だ。一ヶ月に一回必ずといっていいほどやってくる、この厄日。俺が勝手に思ってるだけだけど。初めは走っていたけど、もう面倒くさくなって歩く。
ぱしゃぱしゃと足が水溜りを跳ねてずぶ濡れの靴に、直接水が流れ込む。歩くたびに靴底の水がぐじゅぐじゅと音を立てて気持ち悪い事この上なかった。


「あはは、あははは、あは、…」


笑う角には福来たる、嘘笑いでも笑えば景気付けになると思ったのにな。笑えば笑うほど、気持ちは沈んでいくばかり。服が水を吸って、ずっしりと重たい。明日、風邪引くかな。引いて欲しいな。…ああでも、風邪って引いて欲しい時に絶対引かないし。引いて欲しくない時に引くんだ。世の中不条理だらけ!
何時もは信じられないくらいぴんぴんと立ってる俺の髪が、肌にぺっとり張り付いて。もうどうしようもなく気持ちが悪い。
視界は灰色だらけ、空から降ってくる透明であるはずの水ですら、汚らしい灰色に染まっている。…傘が欲しい。俺のお気に入りの、空がプリントされたいささか子供っぽい傘。小さな頃から使っているので、あんまりもう俺のサイズにはあってない気がするけど。(二本も骨折れてるし)
どうしても捨てられない、特別な思い出があるって訳じゃないんだけどね。


「……あーあ」


落胆を口に出してみる。幾ら溜息を吐こうと、原因不明の陰鬱は過ぎ去らない。ふらふら、と電信柱にぶつかった。もっているカバンもびしょぬれ。もう中身も被害にあってるだろうな。…勉強道具は殆ど入ってないけど。
もう一度陰鬱な空を見上げた。半開きの口に容赦なく雨が入ってくる。汚らしい、気持ちが悪い。


「つまんない」


つまんない、つまんない。そう呟き電信柱の横にしゃがみ込んだ。先が見えないようなどしゃ降り。俺の人生みたいだ、とちょっと詩人みたいな事を考えて、また陰鬱な気分に沈む。雨に打たれてぐしょうしょになったダンボールの中身は、空っぽ。その隣にしゃがみ込む。
もしかしたら猫でも入っていたのかも知れない。…そんなこと、もう分からないけど。入ってたら、ちょっとは救われてたかも知れないのに。実際、今日あった嫌な事なんて案外些細な事で、ずっと遠くの戦争をしているような国の子供からくらべたら、信じられないくらいにどうでもいいことなんだろうけど。(けどなあ)
俺にとっては、食べ物がなくて飢え死にするような子が居るんだから、あなたがその子分も残さず食べなさいとか、本当に関係がない。冷たい人間なのかな。…だって、そんなの俺が食べてる分も、その飢えてる子にあげればすむ話じゃない。
…なに考えてんだろ
ばっかみたいだ、眼に容赦なく雨粒が入る。ハタから見れば泣いてるように見えるのかな。ああ、本当に泣きたくなってきた。…泣いたって解決しないのに。
どうせ、俺は孤児で。頭が悪くて要領も悪くて、ダメツナで。本当にダメダメだ。特に、毎日することもなく毎日印象に残る事もなく、毎日無気力に過ごしてるだけ。目立たないように、目立たないように。


「ばかみたいだ、俺」


実際、俺は雨に打たれて悲劇のヒロインならぬヒーローを気取ってみたいだけだ。汚らしい、アスファルトにしゃがみこんだまま。立ち上がれ、立ち上がれと足に命令する。あと30秒、あと1分。立ち上がろうにも立ち上がれない、雨でぐちゃぐちゃのダンボールと中身のはみ出た黒いゴミ袋の横に並んでいる俺は、どうみえるだろう。
きっとこれらと同じように、ゴミみたいに見えるはずだ。いっそこのままゴミ回収車が一緒に持っていってくれればいいのに、いっそスクラップしてよ。俺なんか。
…荒んでるなあ
俺も、目の前に広がるこの世界も。どうせ濡れてるんだし、べちゃ、と音を立てて水びたしの道路に三角座り。手の中に顔を埋めた。視界を暗闇が満たして、他のものは何にもみえない。体を打つ激しい雨の感覚だけ。
このまま雨みたいに溶けてなくなってしまえばいい。生きてる価値のない俺なんか。…ネガティブだなあ。 浮かんでは消えていくマイナス思考をとめたいんだけど。なかなか止まらない。
どうせ、どうせ
という言葉ばかりが脳に反響(えらく自虐的で猜疑的)






























それから、何分経っただろうか。
もしかしたら、数十秒かもしれないしもしかしたら、数時間かもしれない。
腕に埋めた耳が、ぱしゃりぱしゃり、と誰かが歩く足音を捕らえた。(絶対俺をみて変な子だと思うのだろう)
ぱしゃり、ぱしゃり、…ぱしゃ
おそらく目の前で、その足音が止まった。俺は顔を上げない。数十秒、そこにとどまった後、その足音の主が来た時とは正反対に、小走りで去っていった。…そんなものさ。どうせ、俺は悲劇のヒーローを気取って、誰かが声をかけてくれるのを待ってただけなんだから。


「あーあ」


くぐもった声と相変わらず止みそうにない激しい雨の音。そろそろシスターが心配しているかもしれないな。でも。でも、もう暫くはこうしておこう。なんだか、こうしていた方が良い気がするから。(まったくの茶番だろうけどね)。
遠くから、また足音がする。ぱしゃぱしゃ、走ってるみたいだ。俺みたいに傘がないのかな。だんだん近づいてくる足音に耳を澄ます。…また、俺の前でその足音が止まった。いったいなんなんだろう?
同時に、背中を打っていた激しい雨の感覚がふっと魔法のように消えた。驚いて顔を上げる。


「……………魔法使い?」


俺の、ミスターレインマンへの第一声は、それだった。我ながら、頭が悪い。
でも彼は、灰色の陰鬱な曇り空と同じ色の髪を揺らし、綺麗な緑色の瞳でこちらをのぞきこんでいたから。その異国的な雰囲気が、昔読んだ小説の魔法使いのようだと思った。彼は、俺と眼が合うと、吃驚したように綺麗な眼を見開いて固まっていた。
傘を、俺に向けて差している。傘を持ってるくせに、ずぶ濡れで。


「…誰?」


首を傾げて、俺は言ったんだ。でも彼は眼を見開いて固まったまま。見えてないのかな、と思って彼の綺麗な緑色の目の前で大きく手を振った。


「見えてる?」


それで彼はびくり、と体を動かし、きょろきょろと周りを見回してから、もう一度おそるおそると俺の方を見た。ぱくぱく、口を開閉し、でも直ぐに閉ざした。


「……もしかしてさっき、俺の前に来た?」


またぱくぱくと口を動かし、黙った。何度も小さく首を上下に振るから、俺はすっごく可笑しくなってつい噴出したんだっけ。それで、彼はまた不思議そうななんだか泣きだしそうな顔で、笑う俺の顔をずっと見ていた。


「どうして濡れてるんですか?傘持ってるのに」


ひとしきり笑った後、きちんと敬語に切り替えて、話しかける。答えを言おうとして、また彼は口を開閉した後だんまり。もしかしたら、口が聞けないのかな。彼の灰色の髪の毛がずぶ濡れのまま、白い肌に張り付いている。


「傘差さないんですか?」
「……………」


こくこく、とまた何度も首を上下させる。俺より全然年上みたいなのに、引っ込み思案な幼稚園児みたいな仕草がやけに滑稽で、俺はまた可笑しくなった。こんなにわらったのは、いつぶりだろう?とっても、懐かしい気分になる。
彼はまた泣きそうな顔で俺の顔を凝視していた。


「何でそんな泣きそうな顔してるんですか?」
「…………」
「俺の顔、何かついてる?」
「…………」


やっぱり、ひとことも喋ってくれない。それがやけに寂しかった。立ち上がった俺を見て、中腰の彼が慌てたように傘を押し付けた。


「いらないの?」


また上下に素早く首を動かす、小動物みたいだ。魔法使いじゃなくて。俺よりずっと背が高いのに。くすくすとわらう。


「傘、俺にくれるの?」


また頷く。


「……じゃあ、一緒に差して帰らない?って、どこに住んでるのか知らないけど」


困惑したように、眼をきょろきょろと動かした。何かに追われてるみたいな仕草がやけに印象的。そして、何か聞きたそうに口をまたぱくぱくと開閉させた後、小さくこくりと頷いた。俺は、それが凄く嬉しくなって、今さっき感じていた孤独感とか疎外感とか全部吹き飛んで。にっこりと笑ったんだ。
そしたら、彼は。困惑したようなやっぱり泣きだしそうな顔で、ふわっと微笑んだ。
…俺たちは、その後二人で傘を差して帰った。彼は、傘に入ろうとしなかったけど。俺の孤児院の前まで来て、俺がここだよ、と言うと。なんだか置いていかれた子犬のような顔をして、俯いた。もしかしたら、帰って欲しくないのかな。なんて考えて、また俺はにっこりわらったんだ。
そして、また遊びに来てと俺の部屋の位置を教えると(本当は孤児院の中に入れてあげたかったけど、彼が建物の中に入るのを拒んだから)、本当に嬉しそうな顔でにっこりと笑って。俺の手に傘を押し付けたあと、ぱしゃぱしゃという水音と共に走っていってしまった。





それが、俺とミスターレインマンとの出会い。ぱたん、と日記を閉じて、窓をまたカラカラと開ける。てしっかり日の沈んだ真っ暗な世界。…雨のにおいがした。
俺はそれがひどく嬉しくなって彼の嬉しそうに細めた緑色の眼を思い浮かべ、
ひとりでにっこりとわらう。















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