「相変わらず、完璧な変装だな」


少し笑いを含めて、山本がそう言った。目はずっと外を向いたままだ。周囲の喧騒(というほどでもないが、午後のだれた空気と会話は叫び声よりも耳につく)が少し耳につく。足の長い派手な黄色をした椅子に腰掛け、目深に被った帽子を脱いだ。ぱさり、とそれをテーブルに置き、(山本のコーヒーはもう空になっている)あまり美人ではない店員を呼び止めて、「カプチーノ」と声をかけた。軽く頷き、空になったケーキ皿を持ったままの店員が視界から消える。


「まじで普通にガキにしかみえねーぜ」
「当たり前だ」
「…疲れてるみてえだな」
「誰が」
「まあ、そりゃあお互い様か」
「……ヴェネツィアに居ると昨日聞いたがな……何故、収集に応じなかった」


ふう、と山本は溜息を吐き、背もたれに体重をかけた。日本人の留学生にしか見えない風貌は、一見してマフィアの幹部とは言いがたく、たとえ山本を知る者が見ても彼とは気が付かないだろう。随分と、変装が上手くなった。(変装というよりは、…姿を隠す事が)雰囲気が殺伐としている、ようにも思えた。周りを客に囲まれた、店の中心は騒がしく、すこし個性的にデザインされたテーブルに座っている俺たちのことなど誰も気に留めない。オープンテラスの向こうに見える通りには、せわしなく車や人がうごめいている。雨は上がり、それでもまだどんよりと曇った空から、メランコリックに柔らかい光が差し込んでいる。
…山本からのメールは簡潔だった。暗号化された文章に、足跡が残らないよう上手く送信してあった。ああ、不吉だ。と思う。思った。それでも、自分は何故ここまで来たのか。ランボはもう起きただろうか。仮眠を取っていたハズだが


「………何故俺だけ呼び出した?」
「危険なんだよ」
「何が」
「俺が」
「…ツナにまず報告。それが守護者の義務だ」
「ま、そうなんだけどよー」


そこで会話が途切れる。店員が静かにカプチーノを置き、去っていった。少し湿気を孕んだ空気で、体が重たい。まだ頭痛がした。あまり知られていない、イタリアの女性歌手の古い曲が、喧騒にうまく紛れ込んで、ふとした拍子に断片が耳に入ってくる


「ヴェネツィアで何があった?」
「あー、その事な。……何があったってわけじゃねえんだ」
「…じゃあ、何だ」
「ボンゴレに狙われてる」


山本が溜息とともに静かに言い切って、少し息を吐いた。頭痛がひどくなったような気がした。かちゃり、とカップをソーサーの上に置き、カプチーノの中に揺れる自分の顔を見た。


「……証拠は?」
「確信ならある。メキシコに居たときから、おかしいとは思ってたんだ。まあ俺もこんな稼業やってんからな、命狙われる事なんざいくらでもある。…でも、明らかにボンゴレじゃねえと出来ねえ事だって、あったな。……獄寺だって、死んだだろ、異常だと思わねえのか?」


また沈黙が支配する。山本が思い出したように伏せていた目を上げ、店員にブラック、と言った。その声は少し沈んでいる。ツナが「ヴェネツィアで気になることがあるそうだ」と言ったときの声の調子を俺は必死で思い出そうとする。ああ、頭にもやがかかる。これ以上、負荷をかけないでくれ。獄寺の白くのっぺりとした肌の色が目の奥で行ったり来たりを繰り返した。


「…獄寺が死んだって聞いてな、流石にやべえなと思った。一体今何が起きてんのか、さっぱりわかんねえんだ。…なあ、リボーン。俺どうすりゃいい?」


縋るように、山本は目を伏せたまま、いつかに聞いた声色と同じように声を出した。ああ、くらりとする。ツナの顔と獄寺の人形のような顔、声色、目の前に広がる昼下がりのカフェの喧騒が、頭の中で処理しきれずに廻る。少し吐きそうになるのをこらえ、カプチーノをまた口に含んだ。味がしない。舌が麻痺しているようだ。能面のような顔がまた、カプチーノに映りぐにゃりと溶ける。溶ける。


「心当たりは?」
「あったら世話ねえよ」
「……具体的に、どういうことがあったんだ?」
「まず、…メキシコに行って3ヶ月くらいした時にな。ボンゴレのHPにアクセスできなくなった。その次に、行く先々で狙われる。ツナに電話は繋がんねえしな。いや、ボンゴレに連絡すらできなくなった。行く先々で、狙撃されるしな。……ボンゴレの若い殺し屋も何人か見たぜ?…確信と言うよりは、証拠に近い。今まで上手く逃げ切ってたんだが、急に収集が掛かった。しかも獄寺が死んだって内容だ…俺だって命は惜しい。昨日も一昨日も本部に出向かなかったのはそういうわけだ。本部にノコノコ行きゃあ、まず間違いなく殺される。だろ?」
「…………、本当の話だな?」
「俺が嘘吐いてるように見えるならな、嘘なんだろうな」


飲み干したカップをまたソーサーに置き、ちろり、と山本の顔を見た。少し頬がこけている。憔悴しきった、というのが相応しいような、そんな感じがする。すこしだけ、また頭痛。吐き気。ああ、これはやばい。自分の身体管理すらできていないのに、これ以上俺に、負荷を、かけないでくれ!うんざりだ、と吐き捨てて首を振ってしまいたかった。
ツナに対する疑念など持ちたくない!


「お前が口にした内容は、ボンゴレへの裏切りだ」
「リボーンはそう言うのな」
「……俺は、ボンゴレに忠誠を誓ってる。それはお前もだろ、山本。…俺は、コーザノストラがそんなことするわけねえと俺は思ってる」
「実際俺はされてんだぜ?」
「お前は俺にどうして欲しいんだ。情報が欲しいのか、それとも逃亡の手助けか。理由か」
「………わっかんねえんだ」
「…………」
「味方が欲しかっただけかもしんねえし…なんかもう、誰かに言っちまいたかったのかもしんねえし。…俺だって、ツナを疑いたくなんか、ねえよ」


ブラックコーヒーが運ばれてくる。抑揚の無い声で、女が喋りそして立ち去る。遠くで車のクラクションの音と、喧騒が聞こえた。急速に遠ざかって、そのまま何も感じなくなればいい。疑念が渦巻く。じわり、と偏頭痛の箇所からコールタールが分泌されていくような、そんな、感覚。山本が自嘲気味に笑った。憔悴している。二人の間にあきらかな倦怠感が漂っているのが分かった。俺は相変わらず能面のように表情を変えない。いっそ表情を変えてしまえたら、ころり、と少し笑って、それで終われる気がした。


「コーザノストラね。…古臭いのか、分かんねえけどさ。何処のファミリーがボンゴレに喧嘩売ってるってんじゃねえんだ。多分。…ボンゴレが、おかしくなってる。ツナに限ってそんな事ねえって。言い切れるか、リボーン」
「………………ああ、言い切れる」
「なら、俺達は敵かもな。俺だって、こんな風になりたくなかったんだぜ?普通の人生だって、過ごせた筈だ。こんなとこまで来て、信頼してた奴に裏切られたなんてな。…こんなの、異常だと思わねえか?」
「山本、」
「今日ここで会った事は、誰に話そうが自由だ。リボーン…俺はシチリアから出る。いや、イタリアからも消える」
「……ヒバリはどうすんだ?」
「ヒバリ?……ああ、さあな。分かんねえよ。もう、分かんねえ事だらけだ。ヒバリにすら連絡が取れなくなった。なあ、何が敵で誰が味方か、さっぱりわかんねえんだ。全然わかんねえ。…分かんねえことだらけだ。中学ん時みてえに、また気楽になれたらいいのにな。そしたら、こんなこと分かんなくても、いいだろ?」
「……今日中にここを発つのか」
「ああ。つっても、これがマジかはわかんねえぜ。リボーンが敵かもしんねえ、つうか今後絶対敵になるだろ。今ここで俺を殺しても、一向にかまわねえよ。…うんざりだ」


体内に絡んだ鬱積を全て絡めて、山本はそう吐き捨てた。暴力的な響きが混ざる。すこしだけ身構え、相手に殺気が無いことを確認する。…なんで、こんな風にしかならないのか。山本は少しだけ、遠くの喧騒を静かに眺めて、席を立った。それを目で追う。


「……もう一生会わないかもな。いや、俺は会いたくねえよ」
「ああ」
「殺さねえの?」
「…今日あったことは忘れる」
「珍しく優しいのな」
「………………」
「リボーン、…気をつけろよ。誰が敵で、誰が味方か。ハッキリしとかねえと、俺みたいになる」
「………俺はボンゴレに。…ツナに忠誠を誓ってる。ツナの敵が、俺の敵だ」
「だろうな。…俺に、大抵のノウハウ教え込んだのはリボーンだろ。なあ、悪りいな小僧。こんなんなっちまって」


山本はまた、自嘲気味に唇の端を歪める。(笑っているようには見えなかった)テーブルの端には、山本と俺のコーヒー代が、綺麗にそろえてあった。人の合間を縫って、山本は店を出て行く。相変わらず中身の無い店員の声が、その背中にかかった。あっというまに、群集に紛れていく背中は、やはり殺伐とした、…憔悴しきった雰囲気を纏っている。
…ツナに対する疑念を振り払う。たった、10分程度の会話で、揺るがされてたまるか。と俺は強く信じ込む。そう、10分、いや、10分にも満たない。たったの一言二言で、俺とツナの年月を壊さないでくれ。偏頭痛がする。米神を軽く揉んだ。山本が結局、一口程度しか口をつけなかったブラックコーヒーが少し揺れている。「先刻連絡があったよ。今、どうしても来れないって」っと言った時の、ツナの顔。いや、実際に、ボンゴレが?ああ、何故?何故俺は何も知らない?ツナが指示しているのか?骸は何か知っているのか?「俺の右腕は骸で、決定」重く沈んだ、いや、淡々とした声?
たったの一言で、壊されてたまるか。
私服はやけに重い。肩が凝る。黒いスーツを着て、帽子を被れば、俺はそれで、大丈夫だろう。横にかけた鞄から、レオンの赤い両眼がこちらを見ている。軽ひと撫でして、首を振った。壊されてたまるか、…今更!何故。山本が、ボンゴレに狙われてる?…昨日から、いくらハッキングしようとでてこない敵対ファミリーの、情報。ツナが淡々と喋る。獄寺の死体。刺青。「愛してたよハヤト」ああ、壊されてたまるか。今更、疑念を抱いてたまるか!急にどうしようもない苛立ちに襲われて、偏頭痛が警鐘のようにひどくなる。叫びだしたくなるのを、両手で顔を覆って、こらえた。ああ、やっと顔に神経が行く。ちょっとだけ、意識をして、笑ってみた。口の端を歪めて、鼻を鳴らす。


ふっと、息を抜くように溜息を吐き、疑念を全て振り払う。警戒色。真黄色の椅子から降りる。山本が置いていった札の端に、「気をつけろ」という文字が見えた。それをぐしゃりの握りつぶし、そのまま席を立つ。やはり、あまり美人ではない店員が急いでテーブルの上の金を確認した。人の間を縫い、俺も群集に埋もれる。
疑念など。何の役にも立たない。俺はツナに忠誠を誓ってる。山本が消えた。山本は消えた。裏切りを口にした。今更ながら、何故あの時に殺してしまわなかったのかと少し後悔する。したところで、山本はもうすでに、どこかへ消えてしまった。ツナに連絡する気も、失せてしまう。ああ、これは、裏切り?…もう一度笑ってみた。そのひどく小さい音はあっという間に喧騒とクラクションの中で掻き消える。
















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