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金木犀がふわりと香る。何故だか泣きたくなった。
水谷は子供か、それとも呆けた老人のように鉄棒に座ったまま足をぶらり、ぶらりとさせる。ぼう、とした顔は、焦点の合っていない目と一緒になって、空を見ていた。俺は自転車にもたれたまま、そこを動かない。さっさと帰ってもよかったのだが。金木犀の匂いが、頭から離れない。ふわりと、ひかえめな匂いのはずなのに、何故かむせ返るほど濃く甘い匂いのような気がした。
水谷を見ると、少し目が合って、相変わらず気力の無いへにゃりとした笑顔を向けられた。首を少しだけ傾けるのが、くせなのか。垂れ目気味の眼は、あまり焦点があっていないまま、またぶらり、ぶらり、と足を揺らす。「ねえ阿部」「何」「なんも無い」「帰るぞ」「もうちょっと」
そういった類の問答を数えているだけで4回はした。多いのか少ないのかそれはよく分からない。…水谷が何を考えているのか、さっぱり分からない。分からないといえば、三橋もよくわかんねえな。いや、でもあいつは考えてること結構分かるな。水谷は、正反対かもしれない。俺と。どこからか、金木犀の匂い。
「なんかさー」
「なんだよ」
「阿部がこんなんして俺に反応してくれんの結構珍しいよね」
「じゃあ帰る」
「さっきからそればっか言ってる」
「さっさと帰って寝てえんだ」
「金木犀、すげえいい匂い」
「人の話を聞け」
「阿部の話なんて聞いても楽しくないじゃん」
「じゃあ話しかけんな」
「やだ」
「意味分かんねえ」
「だよね」
白いシャツが夜に反射して、そこだけやけに明るい。ぽつり、ぽつりと街灯の電気に、誘われるように気温が下がっていく。少し肌寒いな、と口の中で呟いた。ああ、早く帰らなければ。明日も朝早い、提出課題も終わっていない。……水谷はぶらり、ぶらりとまだ足を揺らしたまま、夜に沈んだ空を見上げている。星が見えないほど都会ではない、星が見えすぎるほど田舎ではない。ひどく中途半端だ。何をするにもまだ子供と言われる、でも子供ではない。分からない。ああ、本当に何もかも、ひどく中途半端で嫌になる!もたれかかったままの自転車が、少しだけ傾いた。
「金木犀って好き」
「……へー」
「割りと好き」
「…………」
「野球も割りと好き」
「あっそ」
「あと阿部も案外好き」
「…………」
案外と割りとの微妙なニュアンスの違いを頭の隅で考える。自分の中での水谷の位置は変わらない。「どうでもいい」と一言吐き捨てる。水谷は「俺も」と言って笑う。息を吸うと、金木犀をそのまま肺に取り込んだ気になった。
「俺飽き性なの」
「ふーん」
「昔から、あっという間に飽きんの。なんていうの?熱しやすく冷めやすいタイプってやつ。野球は長続きしてんだ」
「そんで?」
「うん、別にそれだけ。あー、明日英語俺あたるじゃん。やだなー」
「教えねえぞ」
「そんな事いっていつも教えてくれるよね阿部」
「お前が勝手に見てるだけだろ」
「阿部っていい人だよね」
「あほか」
「うー、あほかもしんない」
「あほだろ」
「あほだねー」
ぶらぶら、真横で揺れる水谷の足、一定のリズムを刻む。少し寒い。水谷が見ている、空を見上げてみると、割りと(また割りと、だ)星が多く見えて、意外。だと少し笑った。「どしたの阿部」と、問いかけを無視する。金木犀に咽る。水谷のシャツだけがぼうっと浮かび上がっている。目頭の整った、淡く染めた髪の毛は、そのまま空を同化してどこかへ上っていきそうだ。唯でさえでも、ふらり、と目を離すと消えてしまいそうな風体なのに。
「ねえ阿部」
「何も無いは、なし」
「えー、じゃあ何て言おう」
「知るか」
「うーん」
「あほ」
「あほでごめんね」
「まったくだ」
「俺阿部の事割りと好き」
「あっそ」
「割りと優しいし、割りといい人だし、割りと、何?」
「知るか」
「どうでもいい?」
「どうでもいい」
「あ、やっぱそんなもんか」
「当たり前」
「金木犀好きだー」
「割りとじゃねえの?」
「そんなん、適当」
「なあ」
「何?」
「よくそこまで適当に生きれるな」
「阿部も案外適当」
「は?」
「俺たちって割りと似てんの」
「全然違うだろ」
「そうかも」
「三橋のこと好き?」
「は?」
「野球好き?」
「お前話し飛びすぎ」
「うん、よく言われる」
「直せよ」
「だってわかんないもん。ねえこのピン止め似合う?」
「見えるわけねえだろ」
「だろうねー」
呆けたような笑い声が聞こえる。そして、足の動きを止め、「とうっ!」と声が聞こえた。真横から人の気配が消え、少し前、真正面に水谷の後姿があった。(シャツが浮かび上がる、浮かび上がる)くるり、と振り返って、蛍光灯に照らされたまま、にへらと力の入っていない笑かたをする。前髪は、例によって見たことのある名前は分からないキャラクターのピンでまとめられていた。「阿部見た?俺今空飛んだ」なんて言って、俺の自転車のカゴに入れっぱなしだった自分の学生鞄を取る。
「空なんか飛んでねえだろ」
「いや、どこから空なんて区切りないんだぜ?そんなこともしらねえの阿部」
「あほか」
「あほです」
「だろうな」
「うん」
ぎぎ、と自転車のスタンドを上げ、押して進む。砂利に車輪を取られそうになった。金木犀の匂いは濃くなったり、薄くなったり。それでも、むせ返りそうに、甘い。「ここが空かもしんない」なんて、水谷は右手を俺の肩のあたりでひらり、ひらりと動かした。
「全部曖昧なんだって話」
「あっそ」
「金木犀探そーぜ」
「は?」
「だから金木犀」
「一人で探せ」
「えー、せっかくだから付き合ってよ。多分こっから近いとこにあるし」
「めんどくさい」
「阿倍のめんどくさがりー」
「うるせえ、第一暗いのに見えるわけねえだろーが」
「…あ、そうかも」
「ねえ阿部割りと好き」
「さっきから気色わりいな、ホモかお前」
「えー、そうかもー」
「本気で近寄んなお前気持ち悪りいな」
「うんそうかもー」
「あー、だりい」
「だりいね」
だれた調子で、足を引きずりながら水谷が歩く。のんびりと、ふらり、ふらりと周囲を見渡しながら、めんどくさそうに、すり足で歩く。たまにちょっと笑って、自転車を押す俺に何故か体当たりをかましたり(イラつく)、ふらりと駆け出しては、俺が歩いてくるのを待っていたりする。くにゃりとやる気なさそうに垂れ目を細めて笑う。金木犀がふわりと香る。
「じゃあね」
「は?」
「俺こっちだから」
「あっそ、じゃあな」
「阿部っていい人かも」
「だろうな」
「うん」
「帰んぞ」
「うん、阿部のこと割りと好きかも」
「気色悪りいな」
ひらり、と自転車に跨る。秋の冷たい空気と、風化して彩度を失っていく木々の匂いが直接頬に当たった。そして少し思う、振り返ったときの水谷の顔。
ああ、なんとなく。あれだ。あれ。…金木犀に似ているような気がした。「阿部の事割りと好きかも」、割りとを連発する、曖昧な茶色の髪の毛が瞼の裏に浮かんだ。相変わらず、咽るような香りがする。






































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